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平井先生の素描

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第1回 昭和の時代

【自己紹介に代えて】
『素描』は岐阜新聞朝刊のコラムですが、2010年7月と8月の毎金曜日全9回を担当しました。『素描』は開業当初から現在に至るまでの小生の職業人生そのものをエッセーとして書いたものなので『素描』の全文をそのまま掲載することで自己紹介に代えさせて頂きます。

 昭和50年代。週末の岐阜市・柳ケ瀬は活気に満ちていた。デートは、映画も食事もヤナガセ。オシャレな買い物もヤナガセと決まっていた。街には、沢田研二のカサブランカ・ダンディと山口百恵のイミテーション・ゴールドが流れていた。肌も露わにピンクレディーがUFOを歌うと、女児がコタツの上で真似て踊った。
 最初の就職先は外資の事務機器メーカー。欧州最大手の企業で待遇はよかった。給与水準も高く、学校や銀行が半ドンだった時代に、すでに完全週休二日制だった。理系出身なので配属は技術部。電算機の端末を扱う部門だった。技術者として、来る日も来る日も電子機械を相手にしていたが、やがてもっと社会や人に深くかかわる職業に就きたいと考えるようになっていた。
 昭和53年の夏。山形の酒田では40・1度の戦後最高気温を記録。お盆を過ぎても連日、熱帯夜が続いた。社会保険労務士試験が行われた名古屋は、朝から茹だるような暑さ。受験会場は静まりかえり、受験生はサブノートの確認や参考書に目を走らせていた。合格発表は11月。それまでの3カ月間は、期待と不安が入り交じる落ち着かない日々を送ることになる。
 合格発表は官報に掲載される。当時、合否の情報源は官報しかなかった。その日は、朝早くから官報販売所の前に車を止め、開店を待った。手に取った紙面からは、自分の受験番号が浮き上がって見えた。一生の仕事が「労働」と決まった瞬間だった。その月には、長女が誕生。あれから32年。昨年、その長女が初孫を出産した。まさに光陰矢の如し。